解き放たれた料理

 

もう、料理する必要がない。

 

リュウイチさんは料理がお上手なので、私が作って上げる必要はないし、

 

自分が美味しいものを作って食べたいという気持ちもない。

  

それでも、全く料理をしないわけでもない。

 

なぜなのか?

 

習慣なのか?本能レベルなのか?

 

ともかく、最低限の料理はしてしまう。

 

それは、虚飾が全くない料理と言っていいと思う。

 

グチャッとしたものは嫌だし、手間を惜しむから、素材が生かされまくっている料理であーる。

 

虚飾がないから、パッと見、美味しそうには見えない。

 

自分でそう思うのだから、人が見たら不味そうに見えるだろう。

 

でも、食べてみると、

 

思わず、

 

美味しい。

 

とか、言ってしまうのであーる。

 

人が食べた場合は、

 

思ったより不味くない。

 

というくらいの感じかもしれない。

 

頑張って作れば、フツーに売ってるお惣菜の80%位のものは作れるとは思うのだけれど、だったら、そのとても洗練されたそのものを、

 

買えばいいかなー。

 

と思ってしまう。

 

しかし、全く頑張る気もなく、テキトーに作っているのに、美味しいようなものが出来てしまうのは不思議であーる。

 

考えてみれば、テキトーとはいっても、今までのノウハウを活かしてて、メチャクチャには作っていないし、なんとなーく毎回変えて工夫している。

 

ここのところ食べ始めた雑穀御飯も、毎回、ブレンドの具合や水の分量など変えていて、初期よりは確実に美味しくなっている。最初が不味すぎた気もするけど。

 

というわけで、全てから解き放たれた料理というものが、こんなもんだというは、本当に意外なことであーる。