戒壇というのは、お坊さんの位を授ける由緒正しい場所だという記憶があった。
慧日寺資料館で資料を見ていて、戒壇と出てきたので、
そんなすごい所が近くにあったんかー。
と興味を持ち、道路には案内も出ていたので、行ってみる気になった。
2019年の春のことであーる。
案内板の通りに行っても見当たらず、右往左往しても、結局見つからなかった。
なにもないだろうなー。と思いつつも、時々気になって、ネットで探してみたり、グーグルマップを眺めていたりした。
そして、月日は流れて、2021年。
ついに戒壇跡にたどり着いた。
車の運転をしていなかったこと、
ネットにあった戒壇跡の石碑の写真を見ていたこと、
雑草の勢いがまだ控えめな時期だったこと、
が幸いした。
もう少し草が茂ったら、石碑が見えなくなっていて通り過ぎたかもしれない。
遠くにちょっとだけ見えた石碑。運転してちゃ無理だよねー。ここに案内板があったらわかるだろうけど。
真ん中のちょっとこんもりした所が、戒壇跡。戒壇とは関係なく、お坊さんのお墓らしい。この辺りにも慧日寺の別院があったらしいので、慧日寺の繁栄ぶりを感じるのには行ってみるのもいいと思うよ。
因みに、源平の争いの時に平氏側だったため、衰退したそうであーる。
農道の終わりからは、まさかの藪こぎだったので、一人だったら、遠巻きに見て終わりにしただろうねー。
この碑が、思ったよりいい感じで良かった。(^o^)